悟空先生がこれまでに手放してきた習慣と考え方
何かを始めることよりも、
何かをやめることの方が
難しい場合があります。
人付き合いや生活習慣
物事の考え方など「続けた方がよい」
と思っていたことでも手放してみることで
心や體が楽になることがあります。
今回は私がこれまでの人生の中でやめてきたこと
についてお話ししてみたいと思います。
これは私だけの話ではありません。
皆さんにも、
「自分はこれまでに、何をやめてきただろう」
「やめたことで、どのような変化があっただろう」
と振り返る機会にしていただけたらと思います。
何かをやめるということ
ここ十数年ほど、「断捨離」という言葉が
よく使われるようになりました。
必要のない物を捨てたり自分にとって不要
になった習慣や考え方を手放したりすることです。
さらに物を持たない暮らしを突き詰めると
「ミニマリスト」と呼ばれる生き方にもつながります。
私自身も、これまでに多くのことをやめてきました。
「絶対にやめよう」と強く決意したものもあれば
ある時ふと、「もう、これは必要ないな」
と自然に手放したものもあります。
最初に思い浮かんだのは、
一日三食を食べることです。
一日三食を食べることをやめた
私が一日三食の生活をやめたのは
十四、五年ほど前だったと思います。
テレビや医学、健康に関する情報では、
「一日三食、しっかり食べましょう」
と言われることがよくあります。
しかし、昔の人たちは必ずしも
一日三食を食べていたわけではありません。
江戸時代でも、一日二食で暮らす人が
多かったといわれています。
それより前の時代であれば
食べ物が手に入る時に食べられるだけ食べる
という生活がごく普通だったはずです。
もちろん、體を使って仕事をする人や
運動量が多くたくさんのエネルギーを
消費する人には、三食、四食、
あるいはそれ以上の食事が
必要になることもあります。
成長期の子どもや
部活動で激しく體を動かしている
子どもたちも同じです。
ただ、年齢を重ねるにつれて
若い頃と同じように食べ続ける必要があるのだろうか
と考えるようになりました。
活動量や體の使い方が変われば
必要な食事の量も変わります。
全員が一律に、一日三食を食べなければ
ならないわけではないのではないかと思ったのです。
そこで私は、まず朝に固形物を
食べることをやめました。
まったく何も口にしないというよりは
自分の體に合わせて食べ方を切り替えた
という方が近いと思います。
「一日三食が常識だから食べる」
のではなく
その日の活動量や体調を見ながら
選ぶようになりました。
ただし、これは誰にでも
同じ方法をすすめる
という話ではありません。
年齢や体調、仕事、運動量
によって必要な食事は違います。
大切なのは、世間の常識だけで決めるのではなく
自分の體が本当に求めているもの
に目を向けることだと思います。
見た目や宣伝だけで物を選ぶことをやめた
次に思い浮かんだのは
服や靴を見た目やブランドだけで選ぶ
ことをやめたことです。
私が高校教師をしていた頃は
部活動にも関わっていましたので、
テニスシューズやジョギングシューズなど
用途に合わせてさまざまな靴を履いていました。
当時は、ブランドや色、デザインなども
選ぶ時の大きな基準になっていたと思います。
しかし、次第に広告や見た目に
影響されて選ぶことを
やめるようになりました。
もちろん、服の色やデザインを
楽しむことはよいことです。
ただ、それ以上に
「着た時に體が喜んでいるか」
ということを大切にするようになりました。
服であれば、
- 素材が體に合っているか
- 軽くて動きやすいか
- 締め付けが強すぎないか
- 着ていて疲れないか
といったことを見ます。
靴であれば
特に大切なのが靴底と中敷きです。
- 靴底がどのような形をしているのか
- 地面に着いた時に、體をどのように支えるか
- 中敷きが足に合っているのか
- 歩いた時に、膝や腰に余計な負担がかからないか
そうした機能面を、以前よりも重視するようになりました。
何を選ぶ時にも
「これは體が喜ぶ物だろうか」
という視点を持つようにしています。
若いうちから體を大切にしてほしい
若い頃は、多少無理のある服や靴でも
着ることができます。
少し窮屈でも、痛みがあっても
見た目を優先して我慢できてしまいます。
しかし、その負担が何年も積み重なると
後になって體の不調につながることがあります。
若い人は、見た目や流行に
影響されやすい部分もあると思います。
だからこそ、若いうちから
きちんと體に合った服や靴を
身につけてほしいと思っています。
仕事によっては、ネクタイや決められた服装が
必要な人もいるでしょう。
すべてを自由に選ぶことは難しいかもしれません。
それでも、できる範囲で、軽くて動きやすく
體に負担が少なく、着ていて心地よい物を
選ぶことはできると思います。
見た目を否定するのではなく
見た目だけに振り回されないことが大切なのです。
「また明日」と言うことをやめた
もう一つ、私がやめたことがあります。
それは
「また明日」
という言葉を
あまり使わなくなったことです。
私は高校教師をしていた頃
生徒たちに当たり前のように
「また明日」
と言っていました。
しかし、学校で子どもたちと関わる中では
交通事故や病気、時には自ら命を絶つ
といった出来事に触れることもありました。
今日会った人に
必ず明日も会えるとは限りません。
これは生徒だけではなく
友人や家族についても同じです。
私たちは普段、
明日も同じように会える
と思って暮らしています。
しかし、本当は
次に会えることは当たり前ではありません。
そのことを考えるようになってから
私は「また明日」と簡単に言わなくなりました。
代わりに、
「またご縁があれば」
「またお会いできたら」
という言い方をすることがあります。
人によっては、少し堅く感じるかもしれません。
しかし、明日も会えると決めつけないことで
今、目の前にいる人との時間を
大切にできるようになりました。
「今、ここ」を大切にする
古武術や中国の古典など
昔の人の考え方に触れていると
「今、ここ」
をとても大切にしていたことが分かります。
私たちは、過去にとらわれ、
未来に執着しがちです。
昨日あった嫌なことを思い出したり
まだ起きてもいない未来を心配したりします。
そうしているうちに
今この瞬間に心がいなくなってしまいます。
私が大切にしたいのは、
今、この瞬間。
今、目の前にいる人。
今、自分がしていることです。
過去でもなく、
未来でもなく、
「今、ここ」に意識を戻すことです。
終わったことを引きずるのをやめた
例えば、
昨日学校で先生に叱られたとします。
すると翌日、
「昨日怒られたから、今日も先生の顔を見たくない」
と思うかもしれません。
仕事で失敗した時にも、
「また失敗してしまった」
と、何度も思い返すことがあります。
しかし、昨日の出来事は
もう終わっています。
もちろん、何がいけなかったのかを振り返り
次に生かすことは必要です。
ただ、終わったことを何度も思い出し
そのたびに自分を責め続ける必要はありません。
反省すべきことを反省したら、切り替える。
そして、今できることへ戻る。
過去を忘れるのではなく
過去に心を置き去りにしないということです。
未来を心配しすぎるのをやめた
反対に、私たちはまだ来ていない未来にも
不安を感じます。
「失敗したらどうしよう」
「悪いことが起きたらどうしよう」
「思いどおりにならなかったらどうしよう」
未来について考え、準備することは大切です。
しかし、まだ起きていないことを悪い方向へ決めつけ
今を苦しめてしまうことがあります。
未来を自分の思いどおりにしようとすることも
悪い結果になると決めつけることも
ある意味では未来に対して
傲慢なのかもしれません。
未来のことは、誰にも分かりません。
だからこそ、
まだ来ていない未来に心を奪われるより
今できることを大切にした方がよい
と思うようになりました。
人への期待を押しつけることをやめた
これは、子どもや家族に対しても同じです。
私たちは大切な相手だからこそ、
「こうなってほしい」
「この道を選んでほしい」
「こうすれば幸せになれるはずだ」
と期待します。
期待を持つこと自体が悪いわけではありません。
ただ、その期待が強くなると
相手の人生を自分の思いどおりに動かそう
としてしまうことがあります。
子どもには子どもの人生があります。
家族にも、それぞれの考えや歩みがあります。
相手の未来を決めようとするのではなく
今、その人にとって何が大切なのか。
今の自分に何ができるのか。
そこに意識を向けることが大切だと思います。
恥をかくことや失敗を恐れるのをやめた
私は、恥をかくことや失敗することを
必要以上に恐れるのもやめました。
親や先生は、子どもに対して、
「失敗したらあかん」
「どうして失敗したの」
と言ってしまうことがあります。
しかし、失敗を強く責められ続けると
子どもは次第に失敗すること自体を
怖がるようになります。
失敗を避けることばかり考えると
新しいことには挑戦できません。
挑戦しなければ
成長する機会も少なくなります。
失敗は、挑戦した証でもあります。
何もしていなければ、失敗することもありません。
失敗した時には、
「何を学べるだろう」
「次はどうすればよいだろう」
と考えればよいのです。
人の失敗は、話の種にもなる
関西では、自分の失敗談を
面白く話す人がたくさんいます。
転んだ話や、勘違いした話、
恥ずかしかった出来事なども、
後になれば笑い話になることがあります。
もちろん、失敗した本人が本当に傷ついている時に、
周りが笑うのは違います。
ただ、自分自身が時間をかけて、
その出来事を笑って話せるようになれば
それも人生の味になります。
学校でも、誰かが机の角にぶつかって、
「痛い!」
と言うと、周りの生徒が笑ってしまうことがありました。
本人は、
「みんな悪魔や」
と思うかもしれません。
けれど、それも後になれば、
「あの時は大変だったな」
と笑える出来事になることがあります。
失敗や恥ずかしい出来事をすべて隠そうとするよりも
自分の経験として受け入れられた方が
心は軽くなります。
手放すことで、今が見えてくる
今回お話ししたのは、
一日三食を必ず食べること。
見た目や宣伝だけで物を選ぶこと。
明日も必ず会えると思うこと。
過去をいつまでも引きずること。
まだ来ていない未来を心配しすぎること。
人に自分の期待を押しつけること。
恥や失敗を必要以上に恐れることです。
何かをやめることは
単に我慢したり
失ったりすることではありません。
手放した分だけ
心や時間に余白ができます。
その余白が生まれることで
自分の體の声が聞こえたり
目の前の人を大切にできたり
失敗を恐れず挑戦できたりします。
新しいことを始める前に
「今の自分に、もう必要のないものは何だろう」
と考えてみるのもよいと思います。
皆さんも一度、
「自分は、これまでに何をやめてきただろう」
「何を手放したことで、少し楽になっただろう」
と振り返ってみてください。
何かを新しく加えなくても
一つ手放すことで
今の暮らしが少し軽くなるかもしれません。
やめたことで、見えてきたもの
~悟空先生がこれまでに手放してきた習慣と考え方~
何かを始めることよりも、
何かをやめることの方が
難しい場合があります。
人付き合いや生活習慣
物事の考え方など
「続けた方がよい」と思っていたことでも
手放してみることで、心や体が楽になることがあります。
今回は私がこれまでの人生の中でやめてきたこと
についてお話ししてみたいと思います。
これは私だけの話ではありません。
皆さんにも、
「自分はこれまでに、何をやめてきただろう」
「やめたことで、どのような変化があっただろう」
と振り返る機会にしていただけたらと思います。
何かをやめるということ
ここ十数年ほど、「断捨離」という言葉が
よく使われるようになりました。
必要のない物を捨てたり自分にとって不要
になった習慣や考え方を手放したりすることです。
さらに物を持たない暮らしを突き詰めると
「ミニマリスト」と呼ばれる生き方にもつながります。
私自身も、これまでに多くのことをやめてきました。
「絶対にやめよう」と強く決意したものもあれば
ある時ふと、「もう、これは必要ないな」
と自然に手放したものもあります。
最初に思い浮かんだのは、
一日三食を食べることです。
おわりに
この続きや、ここではお話ししきれない内容は
オンラインサロン「悟空の部屋」で
じっくりとお話ししています。
こちらの記事はラジオで収録したお話を
要約してお届けしていますが、
ラジオではお伝えしきれない
日常生活に活かせる古武術の知恵や
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サロン内でゆっくり掘り下げています。
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興味のある方は、ぜひ覗いてみてください。
今日もお読みいただき
ありがとうございました。
次回もどうぞお楽しみに。
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